サドベリースクール ~授業のない学校
こんにちは!ラボサラです。
今日はいつもと趣向を変えて、教育関連のお話です。
私にはまだ子どもはいませんが、将来的に子どもができたらどんなことをしようかと今から想像を膨らませています。
そんな折に聞き慣れない言葉を耳にしました。その名も「サドベリースクール」。
従来型の学校とは全く異なるタイプの学校のようで、そんな学校が日本にも少数ながら存在しているとのことで、気になって調べてみました。
サドベリースクールとは?
サドベリースクールとは、従来の学校のようにカリキュラムに基づいた教育・授業を行うことなく子ども達を育てる機関です。つまり、先生から教わる授業というものが存在しません!
アメリカのマサチューセッツ州で創設された私立校「サドベリー・バレー・スクール」の教育方針をモデルにしていることから、この名前で呼ばれています。
サドベリースクールの特徴について以下に記載します。
サドベリー・モデルの中心的な特徴は、生徒はルールの範囲内で自由に行動できること、またそのルールを学校参加者自身(主に生徒とスタッフ)により決定していくことである。それによりサドベリー・スクールでは、生徒は学ぶべき内容を学校から押し付けられるということがなく、自らの好奇心のおもむく事をルールの範囲内で追求することができる。
Wikipediaより引用
なんとも大胆なシステムですね。
このシステムを支える根本的な理念は、
「子どもは生まれながら好奇心を備えていて、生きていく上で必要のあることは自分で学んでいくことができる」
Wikipediaより引用
というものです。
子どものことを信じているからこそ、子どもの行動の責任を、子ども自身に委ねているというわけですね。
サドベリー・スクールは生徒とスタッフだけが参加できる「スクール・ミーティング」によって民主的に運営される。学費額・予算配分なども生徒とスタッフが決めていく。自分たちの学校自治を当事者が行っていく、デモクラティックスクールと呼ばれる所以である。
Wikipediaより引用
サドベリースクールはデモクラティックスクール(democratic school)、すなわち「民主主義の学校」とも呼ばれるそうです。
学校の生徒会に全員が参加するようなものでしょうか。小さいうちから、予算などのお金のことを学び、民主主義という国のシステムを疑似的に経験するというのは大切なことですね。
サドベリー・スクールはすべての年齢の子どもたちが一緒に過ごすことによって生徒たちの学びと成長が促されると考えており、恣意的に生徒たちを年齢によってグループ分けすることはしない。
Wikipediaより引用
あらゆる年齢の子ども同士を一緒に過ごさせることで、子ども同士で「教える」「面倒を見る」という行為も活発に起こりそうな気がします。
また、意見を言う時に年が違うからといって物怖じすることは無くなりそうですね。
サドベリースクールのイメージは「学童保育と従来の学校の中間」みたいなものでしょうか。
(私の勝手なイメージかもしれませんが)学童保育は親の帰りを待つ間の時間つぶしの場所ですよね。そこに教育の要素を取り入れたのがサドベリースクール、というような感じがします。
サドベリースクールに対するラボサラの考え
基本的には賛同
今の時代でさえ、働き方が多様化し、単純労働に価値がなくなっていく(機械、AIに取って替わられる)ということが頻繁に叫ばれています。
その先を生きることになる子ども世代にとっては、きっと労働の価値が今とは大きく違ったものになることでしょう。
これまでの時代は、上司の言うことを聞いて仕事をこなす、というスタイルが主流でした。それは「与えられた(既存の)課題に対する、効率的な解決策を考える」という作業になります。
従来型の学校は、決められた形で知識を学び、それを基にテストの問題を解くことで評価が決まります。
これは、与えられた課題(=テスト問題)を解決する、という作業なので、社会に出て仕事をする上で必要な頭の使い方を学ぶことができていた、と捉えることもできます。
一方で、これから先の時代において社会で求められる能力が、「上司から言われたことを要領よくこなす力」から、「新しい未知の課題を自ら探し、その解決方法を考える」というものに変化していきます。
そこで必要な力とは、
・考える力(考察力、アイデア力、創造力)
・自主性、自発性
だと私は考えます。
端的に言うと、「積極的に活動する、地頭がいい」人という感じでしょうか。
このような力を育てるのに、従来型の学校は向いていません。
授業を受けて知識を吸収するという行為が受動的なものであり、生徒の自発性を養うことが出来ないことと、テストで学力を測るという方法では、子どもの発想力を発揮する場面がないからです。
その点、サドベリースクールでは、自分に必要な知識を自分で選択することができ、高いモチベーションで自発的に知識を吸収することが出来ます。
また、自分の求める知識・能力がどうすれば手に入るのか、その過程を学べます。
従来型の学校で、集団生活を通して周りとの協調性を学ぶことにも意義はあると思いますし、私自身も従来型の学校で育ってきた人間の一人なので、それを完全に否定するつもりはありません。
しかし、サドベリースクールには、これから先の時代を生き抜くための大きな可能性があると思っています。
政治への関心が高くなることにも期待
「スクール・ミーティング」はいわゆる生徒会のようなものだと書きました。その中で自分たちのルールを自分たちで築き上げていくという経験は子どもにとって非常に貴重な経験になると思います。
集団の中でのルールを決めたり、そのルールに従った行動をする、というのは大人になってからも変わりません。
子どものうちにルールを作る経験をしておけば、大人になってから国の政治にも関心を持って参加できるようになるのではないかと個人的には期待してしまいます。
日本ほど政治への関心が低い国はなかなかありません。これからの時代を担っていく人たちが、自分の生きる国のシステムに関心を持って積極的に参加していくようになることは、日本が健全な国として育っていくためにとても重要なことだと思います。
(個人的には、今の投票率の低さは受動的な教育システムにも原因があるように思います。)
サドベリースクールの仕組みが、ゆくゆくは日本の政治を変える原動力になってくれたら、と規模の大きなことをぼんやりと考えてしまいます。
教育者側である大人の対応が非常に重要
ここまで、サドベリースクールに対して大いに高評価の意見を書いてきましたが、現実的には難しい部分もあると思います。その最も大きな部分がスタッフ(教育者)の存在です。
従来型の学校のように、物事に対する正解が決まっていないので、杓子定規的な対応ができません。様々な子どもの意見に応えられる広い知識と柔軟な発想が必要となります。
基本的には子どもが自ら考え行動することを見守る方針とはいえ、あくまで「教育」の場なので、子どもが必要とするタイミングで適切なアドバイスをすることが重要になってきます。
何でも調べれば情報が出てくる時代になったとはいえ、調べるきっかけや取っ掛かりすらなければ先に進むことはできませんからね。
子どもの思考に寄り添いつつも、その一歩先に子どもが踏み出すのに必要な行動・知識について大人が知っていないとせっかくの好奇心を活かすことができません。
基本的には見守りつつ必要な時には手を差し伸べる。
言葉で言うのは簡単ですが、現実にはとても難しいことです。
それを上手にこなせる教育者の存在がサドベリースクールには必要不可欠だと個人的には思います。
自分に子どもができたとして、その子どもをサドベリースクールに入れるとなった時は、学校のシステムだけでなく、そこにいる教育者の考えや哲学なんかもしっかりと聞きたいものですね。
まとめ
サドベリースクールの基本的な仕組みと、それに対する私の個人的な意見を述べさせてもらいました。実際のサドベリースクールの運営の様子を知っているわけではないので、的外れな意見を言っている所もあるかもしれません。
システムとしては非常にユニークで面白そうなので、今後も情報収集してみたいと思います。
以下に現在ある国内のサドベリースクールの一覧を掲載しておきます。
自分の周りにサドベリースクールがあるかどうか確認してみてください。
(Wikipediaより)
一般財団法人 東京サドベリースクール、東京都世田谷区
一般社団法人湘南サドベリースクール、神奈川県茅ヶ崎市
一般社団法人 三河サドベリースクール・シードーム、愛知県岡崎市
一般社団法人西宮サドベリースクール、兵庫県西宮市
一般社団法人デモクラティックスクールまっくろくろすけ、兵庫県神崎郡
デモクラティックスクール まんじぇ、愛知県一宮市
デモクラティックスクール さいたまみゅーず、埼玉県
宮崎デモクラティックスクール にじのりずむ、
新田サドベリースクール、鳥取県智頭町
札幌サドベリースクール、北海道札幌市豊平区
デモクラティックスクールみぃち 沖縄県
最後までお読みいただきありがとうございました。